遺族会のM氏、ホクレア・クルー、ジェイク&ナイノア |
特別な日がやって来ました。ジェイク、初めての宇和島訪問が遂に実現したのです。
松山空港に降り立つと、えひめ丸犠牲者遺族会のM氏と宇和島市商工観光科のS氏が出迎えてくれました。ご存知のようにジェイクは、えひめ丸の事故直後に「えひめ丸」という曲を書きました。書かずにはいられなかったのだと、思います。そして、遺族の方々との交流が始まりました。昨年、初めて松山公演が実現した時も、遺族の方々はライヴ会場まで足を運んで下さいました。今では、ジェイクを息子のように思ってくださる方も、少なくありません。
宇和島水産高校の実習船えひめ丸の事故をきっかけに、ハワイと宇和島には新たなストーリーがもたらされました。
そのストーリーで語られるべきもののひとつが、航海カヌー=ホクレア号です。ホクレアとは、ハワイ語で“幸せの星(Hokule'a)”という意味です。このカヌーは、レーダーはおろか方位磁針など一切の計器を使わずに航海します。ナヴィゲイターが星や月の位置を読み、波や風を感じて行くべき方向を定めるのです。この航海術をスター・ナヴィゲーションといい、それをいにしえの航海術を基に考案したナイノア・トンプソン船長(冒険家/海洋学者/社会活動家)は、ジェイクいわく「ハワイの人間にとっては、ヒーローの中のヒーロー」なのです。いいえ、ハワイに限ったことではありません。J 子も10年ほど前に映画『地球交響曲第三番』でナイノアとホクレア号のことを知り、圧倒されたひとりです。
ホクレア号は、ハワイを代表し、えひめ丸の犠牲者の魂が眠る海に献花を行なったことがあります。そして今回、日本への航海が決まった時、犠牲者の魂を連れて帰るべく宇和島への寄港も決まったのでした。
前述した様な航海術ですし、自然はきまぐれです。だから、ホクレア号の到着が果たしていつになるのかは直前まで分かりませんでした。もしかしたらジェイクが日本を発った後になるかも、と一時は心配されましたが、なんの、こうしてちゃんと、みんなが宇和島でつながるように、自然も味方についたのです。
松山空港から宇和島市まで車で走ること約100分。宇和島市に到着したのは、午後3時過ぎだったでしょうか。まずは、宇和島水産高校に向かい、えひめ丸慰霊碑に献花をし、静かに手を合わせたジェイク。祈りは亡くなられた9人の方、そのご家族や友人にもきっと届いたことでしょう。校長先生にもお会いしました。校長先生の机の上には、小さな日の丸と星条旗が奇麗な花と一緒に置かれていました。
その後市役所では市長さんにもお会いし、職員の方々からも歓迎を受けました。
それから停泊しているホクレア号を見学に行きました。ちょうど伴走船のクルー,マイクさんがいて、ホクレア号を案内してくれると言います。なんと貴重な経験! バンクと呼ばれるクルーの寝床は計10個。帆布で覆われかろうじて雨や風は防げるようになっていますが、揺れやら何やらで常に海水が入り込んで濡れているのだそうです。だからでしょう。ホテルには「大事なものはこの中さ」と、バケツを貴重品入れにして歩き回っているクルーがいました。マイクさんは、星の見方や舵の動かし方、入浴時(水浴び?)の命綱の必要性などなど興味深い話をたくさんして下さいました。ナヴィゲイターは夜中でも30分ごとに目覚めては星の位置を確認するそうです。そして星のない日には、風の向きや音で方角を判断して進むのだそうです。船内には小さいけれどキッチンもあります。が、基本的に食料は乾物がメイン。あとは、海からの恵み(魚介類)がほとんどだとか。嵐に遭った時の過酷さは想像を絶するものがありますが、それでもハワイからここまで、人と自然が協力しあって進んで来たのだと思うと、ドキドキします。ジェイクの顔も興味津々。
イヴェント前に一旦ホテルに寄ってチェックイン。すると、ホクレアのクルーや今回の航海プロジェクトに関わるスタッフで小さなロビーは大賑わい。ジェイクにとっては知った顔もあれば、初対面もあり。けれど、ここはもうアロ〜ハ〜全開ですから、誰であろうとあっという間に仲間入り、です。
ホクレア号寄港イヴェントが始まったのは、午後7時。まずは、ナイノア・トンプソン船長やクルーの講演を客席で宇和島市民の皆さんと一緒に聞きました。そこでクルーのひとりがこんなことを言いました。「この航海はお天気に恵まれています。時々は大変な目にも遭いましたが、大抵の場合、行く先々で言われるんです。いつもはもっと海が荒れるのに、と。みなさんは、ホクレアが9人の方の魂を連れて帰って来た、と言いますが、そうではないのです。ホクレアは、9人の方の魂に導かれて、ここまで来たのです」。
講演会が終わりに近づき、ジェイクはステージそでに移動しました。ナイノアは「僕の話が長くて、ジェイクの時間が短くなってしまったら申し訳ない」と盛んに恐縮していますが、それを聞いたジェイクは「とんでもない、気にしないでください!!!」と返事をするかわりに、懸命に手を降って「大丈夫です」の合図をしています。
この日ジェイクが演奏したのは、「サムホエア・オーヴァー・ザ・レインボウ」、「イン・マイ・ライフ」、そして、「えひめ丸」の3曲です。静かに幕を開け、恐怖と混乱を経て、哀しみを表現していくこの「えひめ丸」を、ジェイクは全身全霊でプレイしました。観客と音楽を共有し、さらには絶望と希望も共有した瞬間、場内は恐ろしいほどに静まり返りました。演奏を終えたジェイクは目を閉じたまま身動き一つしません。ようやく身体を起こして客席を向いた途端に、われんばかりの拍手が起こりました。その場に張りつめていた緊張の糸が、緩んだのが分かります。
イヴェント終了後、訪ねて来て下さった遺族会の方々と再会を喜び合い、地元メディアの合同取材に応じたジェイク。
「何年も前からずっと、いつかは来たいと思っていた宇和島に、やっと来ることができました」「宇和島の皆さんのアロハ・スピリットに感激しました」…と思いを語るジェイクの、厳しさと穏やかさが同居した表情が印象的でした。ジェイクにとって宇和島は、ますます特別な場所になったに違いありません。
イヴェント終了後は、お刺身や、宇和島名物じゃこ天に舌鼓。帰り道のコンビニで、またナイノアに遭遇してひとしきり立ち話…。あっという間に長いようで短い1日が終わりました。
えひめ丸の事故は、起きてはいけない事故でした。けれど、起きてしまった悲劇を、強い絆や信頼に変えて行こうとするたくさんのポジティヴな力を目の当たりにして、心が揺さぶられっぱなしのJ子でした。