2010年1月30日土曜日、午後11時。ジェイクと私は、ハワイアン航空ラスベガス行きのフライトに乗り込んでいました。予定よりもかなり進行が遅れてしまっているレコーディング・セッションもほったらかして、ラスベガスへ?むむむっ?遊びにでも行くんですかい?
とーんでも無い!明日はイギリスで共演したベット・ミドラーが2年の契約で繰り広げていたラスべガスのショウ『The Show Girl Must Go On』の千秋楽。その大事な大事な最終日に、ベット・ミドラーから「イギリスでのパフォーマンスを再現しましょうよ」とお誘いがかかったのであります。レコーディングも大事だけれど、イギリスでお世話になったベット・ミドラーが精魂込めて取り組んでいたプロジェクトの締めくくりに、「ジェイクがいてくれたらなあ」と思ってくれたのです。これはもうレコーディングどころか、おおげさですが、生活ってものを中断してでもべガスに馳せ参じなければ!という事になったのです。
毎日のレコーディングで肉体的にも精神的にも疲れ切っているジェイク。と言ってもその疲れは言ってみれば、「心地よい」疲れ。戦って戦って最終的に良い物が出来上がった瞬間に、それまでのバトルで使い果たした体の力と脳の力は不思議と戻ってくるものです。レコーディングはその繰り返し。逆に言えば、良い物が出来上がるまでは力を使い続けなければなりません。車のようにガソリンが切れたから走りません、という言い訳は通用しません。。一番必要とされるのは、もちろん体力もそうですがジェイクの精神力。そしてジェイクをサポートするレコーディングチームのプロデューサー、エンジニア、マネージメント、レコード会社、それぞれがそれぞれの役割を持ちながら、同じような体力と精神力でプロジェクトに臨みます。チームの中の一人でもその力の使い方が違っていると、プロジェクトはスムーズに進まないものです。
そんな熾烈な戦いを、延べ2ヶ月ほど続けて身も心も疲れ果てても、最終的に自分が望んでいた物が出来上がった時の喜びは、まさに、赤ちゃんが生まれた瞬間に生みの苦しみを忘れる母親の物と同じ。そう、アーティストにとって、新しいCDは自分の子供なのです。
そんな最中のジェイク、疲れ果てて機内ではすぐ眠るだろうと思っていましたが、興奮ぎみにレコーディングの話しをし始めました。きっと、ついさっきまでスタジオに居たためまだ気持ちが高ぶっているのでしょう。今だから言いますが、私も疲れていたので本当はさっさと寝たかったのですが(笑)ジェイクを無視して自分だけ寝る訳にも行かず、結局機内では話し続けて二人とも2時間ほどしか寝る事が出来ませんでした。べガスに到着したのは翌日の早朝6時半。ショウはもう今夜です。ジェイク、大丈夫かなあ。
ホテルはベット・ミドラーのショウが行われている『Caesars Palace Las Vegas』。チェックインした後すぐに寝るかと思いきや、何と、べガスには前夜からママとグランマが来ていて(もちろんジェイクの晴れ姿を拝みに来たのですが)、ジェイクはこれから彼らと朝ご飯を食べに行くとの事。私も誘われましたが、丁重にお断りしてベッドに潜り込みました〜。
サウンドチェックは夕方の4時からと言われています。午後1時に起きてシャワーを浴び、ツアーマネージャーのマーティに電話をします。マーティは例の口調で「やあ!良く来たなー!待ってたよー」と本当に嬉しそうに私達の訪問を歓迎してくれました。そして「サウンドチェックは4時からだから、ロビーに3時45分に待機していてくれよ。僕が迎えに行くから」と言いました。きっとまだ寝ているだろうと思い3時まで待ってジェイクへ電話。3時45分のロビー集合を伝えます。ひえ〜かなーり眠い様子。
ロビーから会場へ行く道には、ホテル内といえども当然「カジノ」があります。ここで一日中いつでも誰でも気軽にギャンブルが出来るのです。私は本来ギャンブル好きでは無いので、ルーレット等をしながら盛り上がっている人達を横目に見ながら、タバコの煙を吸い込まないないように早足で歩きます。会場に到着しました。入り口にはベット・ミドラーの巨大な看板。実は、この会場にはジェイクと二人で一度訪れた事があります。数年前にセリーヌ・ディオーンのショウを観に来た事があるのです。なので、会場の素晴らしさは知っていたつもりだったのに、マーティに連れられて中へ入った瞬間、ジェイクも私も思わずため息が出てしまいました。収客キャパは4800人だそう。大きい事もそうですが、会場内のセットがいかにも「べガスのショウ」という雰囲気で気持ちがワクワクしてきます。
ステージ回りのスタッフを一通り紹介されて、まずはジェイクの一人サウンドチェック。え?どうして一人で、って? へへへ。何を隠そう、今夜はベット・ミドラーの計らいで、デュエット曲を演奏した後に、もう一曲ジェイクがソロで演奏する時間を頂いたのです。曲は、いまやジェイクの定番曲にもなった『While My Guitar Gently Weeps』です。
興奮した気持ちを悟られないように、内心誇らしげに観客席からジェイクを見守っていると、ふと、鋭い視線を感じました。ん?何だ?むむむっ?………………あっ!会場内を見回すと、スタッフのほぼ全員が自分の仕事の手を休め、興味の目でジェイクをじっと観察している事に気づきました。はは〜ん、分かった。「こいつがそうか。話しには聞いていたが。ふんっ、小僧の癖になかなかやるじゃねーか」彼らの心中を代わって言い表せば大体こんな感じでしょうか。中にはぶったまげて、そういう場合にアメリカ人が良くやる頭を左右に(いいえ、を言う時のように)振って驚きを表現しているスタッフもいます。そして聞こえてきたつぶやき。私の後ろに座っていた数人が、それぞれに「すっげー」「たった4弦だぜ」「見ろよ、あの指」「音がクリアだなー」「ひえ〜化けもんだ」言いたい事を言ってくれちゃってますが、後から分かった事ですが彼らはショウのバンドメンバー達でした。同じミュージシャンとして、ジェイクの凄さに驚きそして感激しているのです。私も負けずに「へへん、だ!これが世界のウクレレ・プレイヤー、ジェイク・シマブクロよっ!恐れ入ったかい!」と、心の中だけ(情けねー)で言い放ちました。いや、もしかしたら顔には出ていたかもしれませんが。
ジェイクのサウンドチェックが終わるやいなや、待ち構えていたかのようにベット・ミドラーがステージに現れました。「ハーーーーーーイ、ジェイク!今夜は来てくれてありがとうー!」ベット・ミドラーの後に続々と知った顔が続きます。アシスタントのジル、ヘアメイクのオスリン、パブリシストのケン、そして、何と、ベット・ミドラーのイギリスのレコード会社の担当、つるっ禿のダンも!うわあ、イギリスの旅の同窓会の気分です。皆で再会を喜び合って、しばらくの間キスとハグの交換会。
ジェイクとベット・ミドラーのサウンドチェックは二度ほどですんなりと終了。「じゃあ後でね」とベット・ミドラーはジェイクに優しく笑いかけるとステージを下りて行きました。私達も、マーティがバックステージを案内してくれるというのでステージスタッフにお礼を言ってマーティに続きます。
「ここがベットの控え室だよ」と案内された部屋は、私の家よりも大きなスペース。リビング、シャワー、キッチン、ジム。これはもう控え室とは呼ばず、家、と呼ぶのが相応しいですね。凄い!まあでも考えてみれば、2年もの長い間この同じ場所で週5日「暮らす」わけですから、ここはもう彼女の家と言っても過言ではないでしょう。そして当然自分の本当の家から比べたらはるかに小さなスペースだろうから、本人としては2年間そういった不自由さも含めてこのショウに賭ける意気込みやら精神力やらは相当のものだったに違いありません。
ショウの開場まであと1時間半。ママとグランマ、そしてママの友人達を誘ってディナーを頂く事にしました。ホテル内にある北京系のチャイニーズレストランへ。お店の中は明るく、壁一面に紙細工のようなものが飾られていてとても奇麗です。ジェイクは目をまん丸にして「うわあ……」としばらくポカンと壁と天井を見つめていました。お料理の味はチャイニーズだけれど結構あっさりしていて、高齢のグランマも「美味しいねー」とたくさん頂いていました。ジェイクも今夜はグルテン解禁。手打ちヌードル、チャーハン、野菜の炒め物、チキンのディッシュなどなど、「美味しいー!」
7時15分。会場に入ります。驚いた事に、会場内ではいろいろな人に声をかけられました。ベット・ミドラーのショウは前にも一度観ているのだが、今夜はキミが出るというからわざわざもう一度観に来たんだ、という人達も。写真を撮らせて下さいとか、サインを下さい、という人います。こんな事は全く予想していなかったので本当にびっくり。サインペン持ってきていて良かった〜。
ショウが始まりました。今夜は最終日という事もあるのでしょうか、観客はのっけから大乗りです。もの凄い歓声です。迫力のある生バンドときらびやかで豪華なステージセットで繰り広げられるショウは、瞬きをするのも惜しいほどの素晴らしさです。バックで踊るショウガール達もスタイルが良くて(当たり前ですが)とても奇麗!それよりもなによりも、今年で65歳を迎えようというベット・ミドラーの踊りの素晴らしい事。さすがショウガール!鍛え抜かれたその体の線は、他の若いダンサー達に引けを取りません。腰が痛い、年だ年だ、と引き蘢る世間の65歳と比べちゃいます。これを週5日、2年間も続けていたなんて。ショウ構成は、踊りながら歌を歌ってMC、の繰り返しですが、このMCがまた面白い。実は、ベット・ミドラーは普段からしゃべりが面白い事で有名です。ちょっとウィットで辛口で、少し下ねたも交えた彼女独特のしゃべり口が、その人気の秘密のひとつでもあるのです。
ショウの3分の2ほどが終わったところで、いよいよジェイクの登場です。ステージは今までの、赤やピンクやゴールド色のきらびやかなセットからがらりと変わって、モノクロの、どこの街かは分かりませんがニューヨークかシカゴ、もしかしたらロンドンの、大都会の風景がバックドロップに映し出されました。ベット・ミドラーは黒のシックなドレスをまとい登場、まっすぐに会場を見つめて、豪華さに目が疲れてきた観客の視線をここでもう一度ぐぐっと惹き付け直します。さすが。お茶目な彼女も良いけれど、こういう大人の雰囲気一杯の優しい目をした彼女も大好き。思わずため息が出ます。
「去年12月に、光栄にもイギリスの女王の前で演奏する機会を頂きました。その時に一緒に演奏してくれたウクレレプレイヤーを紹介します。今夜はそのイギリスの再現ね。ジェイク・シマブクロ!」大きな拍手と共にジェイクがステージへ。ジェイクの衣装もモノクロで、ステージといい、二人の衣装といい、まるで打ち合わせでもしたか(全くしなかった)のよう。
曲はもちろんイギリスでデュエットした『In My Life』です。二人の息はぴったり。アメリカでのデュエットは初めての事なので、間違いなく今夜集まった観客には初お披露目です。4800人もいるのに、会場内はよーく耳を澄ませば隣の人の心臓の音も聞こえてくるほど静まり返っています。イギリスで出逢った天使と女神が、今夜アメリカで再会。音楽という魔法は世界中どこにいても人々の心に確実に届くものですね。歌が終わりジェイクの最後のつまびきが響き渡ると、会場には大きな拍手と大歓声が沸き起こりました。いやあホーンと何度聞いても素晴らしい!ジェイクのママもグランマも、顔をくしゃくしゃにして喜んでいます。さぞかし誇り高い事でしょう。そして続くはジェイクのソロ演奏。ベット・ミドラーがジェイクを残しステージを下りると、ジェイクは5歩ほど前に進んで改めて会場全体に丁寧にお辞儀をします。そして長い深呼吸と共に弾き始める『While My Guitar Gently Weeps』のイントロ。初めて聞く人は大抵このイントロの部分でやられちゃいます。途中歓喜の拍手がそちらこちらで沸き起こりながら、後半戦の盛り上がりの部分に差し掛かると、会場全体が興奮の嵐に包まれました。曲が終わると同時にたくさんの人が勢い良く立ち上がり、スタンディングオヴェイション!やった!大きな笑顔で何度も何度も観客に投げキッスとシャカ(ハワイ流の挨拶)をしながら、ジェイクは胸を張ってゆっくりとステージを下りて行きました。
2年もの長い間、言ってみれば自分の人生そのものをラスベガスにうずめて頑張り続けてきたショウも今夜でお終い。ベット・ミドラーは後半戦のステージでは何度も涙ぐむ場面が。私も、ショウを観たのは今夜が初めてなのに思わずもらい泣き。もうひとりアメリカの大スター、グラディス・ナイトをゲストに迎え、いよいよショウはエンディングへと。ベット・ミドラーの最後のMCがあり、そして最後の歌。イギリスでも歌った彼女の代表作のひとつ『Wind Beneath My Wings 』です。歌い終えてスタッフ全員をステージへ呼び込みます。スタッフも皆、「やったー」「終わったー」「頑張ったー」とそれぞれに叫びながら自分達の仕事の達成を喜んでいます。ジャンプしながら、腕を振り上げて、そして笑って泣いて。たった一晩しか参加しなかったジェイクも、まるで自分の事のように大きな笑顔で手を振っています。
笑いあり、心温まる話しあり、涙あり、サプライズあり、と、ラスベガスの人気のショウに相応しい、本当に素晴らしい2時間のショウでした。もう一度来たいと思ったほどですが、今夜が最後。残念。でも、ベット・ミドラーとはこれから先も長いお付き合いになりそうな気がします。ハワイ同郷のよしみもあるけれど(何と、ジェイクのグランマはこれお土産、懐かしいでしょ、と言ってタコの薫製を渡していました!)、彼女のジェイクの可愛がりようはまるで自分の息子のようなものです。きっと今後もこの二人のアロハは空にかかる虹のようにどこまでも繋がって行く事でしょう。
バックステージでスタッフおよび出演者に挨拶をして会場を出たのは、午後11時すぎ。ジェイクはさぞ疲れているだろうと思いきや、グランマ、そしてママと共になんだか落ち着かない様子。あー分かった!あなた達はこれからが「本番」なのねー。私はギャンブル好き(何を隠そう、ママとグランマは3〜4ヶ月に一度はラスベガス旅行を楽しんでいます)のシマブクロ家の面々をカジノ場に残して部屋へ戻りました。翌朝聞くところによると、午前3時頃までお楽しみは続いたとか。ささっ、ジェイクっ、ハワイに戻るよっ!レコーディングレコーディング!しっかり働いてもらうからねー。アルバムを首を長ーくして待っていてくれる世界中のファンの皆のために。
完