INTERVIEWS

インタビューと文●jklub 協力●Chie Oishi(Sublingual Services)

AN INTERVIEW WITH JIMMY BUFFETT

60人だろうが6万人だろうが、お客さんと繋がる方法は必ずある
それができることを僕は知っている
そして彼にもそれができるということをね

 STAFF ROOMを読んでいると、頻繁に登場する“ジミーおじさん”。果たしてその正体は!? ジミー・バフェット、本国アメリカでは絶大な人気を誇るミュージシャンだ。どのくらい人気かと言えば、全米ツアーをすれば各地で数万人規模のスタジアムを完売にしてしまうほど。しかも、ミュージシャンだけでなく、実業家、俳優、作家、映画監督、慈善事業家の顔も持っているのだ。中でも実業家としての成功はミュージシャン業同様に大きく、全米でレストランを展開、自社製ビール等の製造販売(ブランド名のランドシャークは、このたびNFLの名門マイアミ・ドルフィンズの本拠地スタジアムの名称として使用されることになった)、カジノ・リゾート建設中…と多岐にわたっている。
 そんなジミーおじさんにジェイクが見初められて早ン年。毎年ジェイクは、単独ツアーの合間を縫い、ジミー率いるコーラル・リーファー・バンドの準メンバーであるかのように、一緒にツアーを回っている。今年2月、ジェイクの故郷ハワイ(ワイキキ)にジミーが経営するレストラン『Jimmy Buffett's at the Beachcomber』がオープンしたのを機に、ふたりの絆は一層深いものになりそうだ。
 滅多にインタビュー取材は受けないというジミーだが、日本にいるジェイク・ファンに向けたこの取材は快諾してくれた。早朝、ホテルのレストランで行なわれたインタビューの間、御年62歳のサーファーはやわらかな笑みを浮かべ、心に響く話をたくさんしてくれた。酸いも甘いも噛み分けた今だからこそ語れるであろう話も、さりげなく。そして、この機会を逃すわけにはいかず、大先輩ジミーから見たジェイクの魅力も、もちろん語ってもらった。

ここに来れば、楽しいショウが約束されている
それが分かっているから、みんなが来てくれる

Q:初めてあなたのライヴを観ることができました。正直、お客さんの年齢層がもう少し高いかと思ったのですが、若い女の子のグループやカップルもたくさんいて、驚きました。長い音楽キャリアを持つあなたが、いまだこうして若い人を魅了するのはどうしてだと思いますか?

A:よくそうやって客層が若いという驚きの声を聞くけど、僕は彼らが若いことをずっと知っていた。アメリカには、昔は本物のショウを見せられる人が大勢いたのに、今はビデオを駆使したり、エレクトロニック・ミュージックのように実際に楽器を弾かずにプレイするバンドが多い影響で、そういう本物のショウをできる人が少ないのだと思う。だから、何歳であろうと、エンターテインメント溢れるショウをやっている人であれば、それが18歳でも80歳でも、喜んでくれるだろう。ロックンロールとは、まさにそうやって楽しむということだし、だから若いお客さんがいるんじゃないかな。いまや家族4世代で観に来てくれる人もいて、それはすごく良いことだと思うよ。

Q:私の後ろの席には20代と思しき5人組の女の子がいて、おそろいのオリジナルのTシャツを着て「I love you Jimmy!」と叫び続けていたんです。あなたにとっては娘ぐらいの年の子から、あんな風に叫ばれるのはどういう気分がするものですか?

A:エンターテイナーとしては、すばらしいと思う(笑)。僕の仕事は良いショウをして、お客さんに楽しんでもらうことだから。それに僕はずっとこれをやってきたからね。ショウをやり始めた時はニューオリンズのバーボン・ストリートでやっていたし、そのためには本当のショウマンでないといけなかった。良いショウをやらなければならないんだ。それからずっと、僕自身もお客さんと同じぐらい楽しんでショウをやっている。お客さんを楽しませることができると、僕自身もすごく嬉しい。特に現代のクレイジーな世界で、ショウをしている間の2時間だけでも自分の悩みや世界の様々な問題を忘れて楽しむことができる。それはすごく必要なことだと思うんだ。ここに来れば、楽しいショウが約束されている。それが分かっているから、みんなが来てくれるのだと思っているよ。20歳の女の子も叫んでくれる、楽しいじゃないか!

ここなら、いつも裸足で
Tシャツに短パンで演奏できるんだと気づき
それが自分にとって最も自然なスタイルになったんだ

Q:あなたの音楽は、時にアイランド・エスケープイズム[註1]と呼ばれますが、そう呼ばれるスタイルに目覚めたきっかけを教えてください。デビュー当時はナッシュヴィルを拠点に活動するカントリー・シンガーだったと聞いています。 どのように音楽が変化していったのでしょうか?

A:これは、おもしろい話だよ。僕が若い時に聴いていた音楽というのはニューオリンズのリズム&ブルースやブラック・ミュージックだった、その近くで育ったからね。あまりカントリー・ミュージックは聴かなかったし、好きな曲もあるけど、ファンではなかったんだ。そんなわけで、最初に始めた仕事のひとつがニューオリンズの仕事だったのだけど、音楽で成功したいと頑張っていた時に、友人が僕のアルバムを聴いて、ナッシュヴィルにいる知り合いに紹介してくれた。僕の音楽に興味を持つかもしれないという人をね。それと同時に、カリフォルニアにも興味を持ってくれた友人がいた。でもカリフォルニアまで行って、成功するために頑張れるだけのお金を持ってなくて。それでナッシュヴィルに行くことに決めた。だから、そっちの方でレコーディングはしたけど、実際はカントリー・ミュージックをやっていたわけではないんだ。でも、みんな、ナッシュヴィルの音楽は全てカントリーだと思い込んでいるから、カントリー・シンガーだと思われていたんだ。ただお金がなかったから引っ越しただけなのに。そこでレコーディングしてからは有名な『ビルボード』誌で働いて、そして僕も、ナッシュヴィルにはカントリー・ミュージック以外の音楽があることを知った。でも当時は誰も彼らのことを知らなかった、例えばメンフィス・ホーンズ、アイザック・ヘイズ、アル・グリーン、オーティス・レディング、オールマン・ブラザーズなど、ナッシュヴィルの周りにはいろんな音楽があるのに、それを知っている人は少なかったんだよ。

Q:では、アイランド・エスケープイズムのスタイルを、自分なりに発見したというか、みつけてこういう音楽をやろうとか、これとこれをこういう風にミックスしたらこんな音楽ができるんじゃないかみたいな形で考え始めたのには、何かきっかけがあったんですか? 例えばカリブの方に旅をしてみたとか、友達がいて音楽情報をもらったとか?

A:それはナッシュヴィルを出てフロリダのキーウエストに移ってからだね。キーウエストは音楽の街ではないけれど、天気が良くて、ビーチがあるから移り住んだ。ナッシュヴィルであまりうまくいかず、それでビーチに戻ったんだ。海の近くに戻りたくて、船で働いて夜はバーでライヴをして、すごく幸せだった。キーウエストのことやそのユニークな歴史を知っていくにつれて、曲作りには最適な場所で、すばらしい曲を書き上げることができた。3、4年ぐらいは釣りをして、漁船で働いて、曲作りをした。それがすごく幸せだったし、自分のキャリアをこうしたいとかはあまりなかったね。でも、何人かにテープは送り続けていて、「すごくいい曲だね」と言われていたんだ。ここならいつも裸足で、Tシャツに短パンで演奏できるんだということに気づいて、それが自分にとって最も自然なこういうスタイルになったんだよ。ボートからおりて、ビーチサンダルをはいてクラブに行って、ビーサンを脱いで演奏する。だから今やっていることは40年前に自分がやっていたことと変わらない、そしてそのエスケープイズムの音楽というのはキーウエストから来ている。そこで書いた新しい曲に周りの人が興味を持ってくれて、ファースト・アルバムを作るのにナッシュヴィルに戻った。住んでいたのはキーウエストだけど、その時点で既にいろんな人を知っていたからレコーディングはナッシュヴィルでやったんだ。そして最初のアルバムが出て、自分にとっては重要なヒットになって、それでアメリカ中をツアーできることになった。そして2枚目のアルバムが出て、1974年には「カム・マンデイ」がヒットになった。これらの曲は全部キーウエストでできたものだし、それが今の音楽になるきっかけだったと思うよ。

Q:パロットヘッド[註2]の第1号が誕生したのはいつ頃だったのでしょうか?

A:当時プレイしに行くときはいつも僕はひとりだった。バンドもなくて、ちょうど今のジェイクみたいだね。僕にはカズ(※ジェイクのマネージャー、K女史)が付いて来てくれるわけではなかったけど、でもひとりでツアーをして最高に楽しかったんだ、ひとりで運転して、サウンドのセットアップをして、ブッキングも自分でやって。ペンシルヴァニア州ピッツバーグで演奏している時のこと。2月でとても寒かったけど、お客さんの方を見たら、中のひとりがアロハシャツを着ていたんだ。ツアーをしている人間には、行く先々でこれは必ずやるっていうことがあるものだけど、僕の場合は古着屋に行くことだった。その時も古着屋で洋服を買ったんだけど、僕のことに気づいた人がいた。その当時はそんなこと滅多になかったけど。僕に気づいた男はお店を持っていて、僕がその街に行くとショウのためにアロハシャツを買いに来るお客さんがいるって教えてくれたんだ。その時初めて、お客さんが僕のショウのためにドレスアップしてくれていることに気づいた。その何年か後にもう少し成功して、バンドと共にオハイオで、3000人の前でショウをやった。その時にはお客さんもすごく仮装していて、頭に飾りをつけたりして。でも僕は子供の頃にニューオリンズのマルディグラ[註3]を見て育ったから、そういうことが大好きでね。毎年家ではマルディグラのお祝いをしたし、コスチュームも仮装することも大好きだった。コスチュームは僕の育った所では文化の一部だったからね。だからそれを見て何か尋ねることもなかったし、ただ嬉しかった。今では本当に凝ったコスチュームも見るし、そういう仮装を見て僕も楽しんでいる。ごく自然にそうなっていったということが、僕は素晴らしいと思う。マーケティングしたものではない、これはファンのアイディアだったんだ。それがすごく嬉しかった。どうやってこうなったの?とよく聞かれるが、僕は「ただこうなったんだ」と答える。本当にそうだから。

サーファーは美しい波に乗った時
自分から降りることはしない
波が先に終わり、それではじめて波を降りるんだ

Q:コスチュームが大好きだと言っている反面、普段のジミーさんはすごくカジュアルですよね。また、本物の音楽が少なくなったことを憂いながらも、エレクトロニックな音楽やダウンロードで音楽を楽しんでいる人を否定するわけでもなく、むしろ上手につきあっていこうとしている。あなたが所有しているインターネット・ラジオなどは、そうしたアイディアの具現化ですよね。はたまた、ボートに乗って海での生活を楽しむ一面があるかと思うと、時間に追われるツアーの仕事やビジネスもいまだに続けている。極端に違うものを両立させて、すごくうまくバランスをとって生きているように思います。それを上手くやる秘訣は何でしょうか?

A:毎朝できる限りサーフィンするようにしているよ。バランスはとても大事なことだよね。キーウエストのビーチに戻って、そこが一番居心地好くて、パワーの源になる場所だとわかった。だからいつもそこにいたいと思ったけど、同時に僕は、子供の頃からずっと、一生懸命働くことを親から受け継いだと思うんだ。だから働くことも何かを成し遂げることも好きだった。アーティストはそんなに働かないものだというイメージがあるけど、決してそうではないからね。アーティストとして成功して、自立し、ありのままの作品を保つためには、正直に言ってパフォーマーとして様々なビジネスに関わらなければならない。ほとんどのパフォーマーはこれはやりたくないと言って、マネージャーやレコード会社、エージェントに全てを任せる。それは決して悪いことではないけれど、僕自身はそういう風に一度やってみた経験として、あまり正直な人がいなかったし、障害がたくさんあった。そういった様々な問題に面した時に、自分でコントロールできるようにしたいと感じたんだ。バンドも音楽ビジネスの面も好きだったから、とてもラッキーだったよ、でもビーチに行くことは絶対に譲らなかった。だから、最高のショウをやって、それでもいつも釣りをしたり、ビーチに行く時間を確保した。ツアーしている時だって、近くにビーチがなかったら、朝は1時間ヨガをやったりストレッチをしたりして、リラックスできるようにしてバランスを保つんだ。でも、海やプールに入れるなら欠かさず泳いでいるよ。毎朝サーフィンしているか泳いでいるんだ。それがありのままの自分だと思う。アーティストでありながらビジネスもやって、常に活動的でいられるんだという考えのもとでやってきたし、だからこそ40年以上もの間こうやって成功し続けていられるのではないかと思う。自分で切り拓いていくのは面白いからね、本当に。他のことと同じように困難もあるけど、ぶつかっていって、乗り越えていく術を身につければいい。ただ、自分を遠くに行かせ過ぎないよう注意はした方がいいね。僕には分かっているよ。ビーチに長くいすぎたらショウに人がいなくなってしまうかもしれないということを。かといって、ショウに長くいすぎたらビーチが恋しくなる。そのバランスを保つことが大事なんだ。

Q:「もう疲れたからビジネスは辞めてしまおう」とか「誰かに任せよう」と思ったことはないのでしょうか?

A:うん、思ったことはあるよ、でも他に何をすればいい? リタイアして生きる力を失う人をあまりにたくさん見て来たんだろうね。僕はサーファーだから波に例えるけど、自分は長い間すごく良い波に恵まれてきたと思うんだ。サーファーは美しい波に乗った時、自分から降りるなんてことはしない。波が先に終わって、それではじめて波を降りるんだ。今のところまだ波は続いているし、僕はまだ乗り続けていくよ。波が終わったら、その時はわかる。歌手のハリー・ベラフォンテは僕にとって素晴らしい友人であり、ロール・モデルでもある。彼は今84歳だけど、まだプレイして歌っている。「いつやめるの?」と聞くと、彼に「やめて何をするんだ?」と答えられ、つい「いい質問だね」と言ってしまった。75歳のレナード・コーエンだってつい先日パリで美しいショウをやった。僕は今62歳という年齢になって、パフォーマー人生の中で自分もその段階に差し掛かっていると思う。たくさんのことを達成できて、人のために曲をかいてパフォーマンスをするのが、純粋に楽しい。それを続けることがただ楽しくて、もう何かを証明しなければというプレッシャーもない。ステージに立つ、そのピュアな楽しみのためだけに続けている。以前はヒットを飛ばしたかったし、競争心もあったけど、今はそうでもない。歌う楽しみを味わい、ジェイクやロバート[註4]、ナディラ[註5]のような才能ある人と共にバンドで演奏し、彼らのキャリアにとって少しでも助けになりたいと思う。良いアーティストというのは、そうやって他の人の力になれる人のことだと思う。ハリー(・ベラフォンテ)も僕のためにそうしてくれたし、イーグルスも何年も前に僕と友達に前座をやらせてくれた。そうやって人の力になる責任があると思うし,力になることで、自分がプレイするのと同じような喜びを感じることができるんだよ。

ジェイクのお客さんに対する真摯な愛情は
必ず彼にいいことをもたらすよ
僕はそれを見てきたし、知っている

Q:まさに次にしようと思っていた質問につながるお話をして頂きました。昨日ナディラもジェイクのショウで歌を披露してくれたのですが、例えば彼女にしろ、ジェイクにしろ、どういう所を見て若いミュージシャンの才能を察知し、サポートしようと思うのでしょうか。

A:自分のキャリアの中でもそういう人の力を借りてきたからわかるんだ。キャリアを築き上げようとする中では、誰もが一生懸命それに専念して、全力で努力しなければならない。才能と努力を重ねた上に、運も必要なことだと思うんだ。だから今こうやって人の力になろうとしている。僕のキャリアの中でもハリーやイーグルスのように、年上の人が僕に何か特別なものがあると思ってくれて、支えてくれた。ジョン・ラウダーミルクという数々の名曲をかいた友人も、ギタリストのチェット・アトキンスも早い段階で僕に何かを感じて手を差し伸べてくれた。僕には彼らがいたし、キャリアのどこかでそういう運も必要になってくるよね。そうやって導いてくれる人がいるのは素晴らしいことなんだ。だから努力と才能が大事なのと同時に、僕も誰かの<お守り>になれたらと思って。だからジェイクやナディラのような人を見ると、僕も力になれて嬉しいし、そこから上まで上り詰めた経験があるからこそ、何が必要なのかわかるし、誰がそれを成し遂げる力を持っているか見抜くことができる。不思議だし、うまく説明できないけど、勘が働く。このバンドには各自のキャリアを成功させた人もいて、若いメンバーはそんな彼らの経験と運から学んでいって、今までたどり着けなかった所に連れて行ってもらう。僕にはそれがすごく自然なことのように思えるんだ。

Q: ズバリ、ジェイクの魅力は何でしょうか?

A:お客さんに熱心であるところ。彼はお客さんを愛し、お客さんも彼を愛している。もちろん彼は素晴らしい演奏をするし、性格も最高だけど、何より彼はオーディエンスを愛していて、それがどれだけ大事なことか僕にはわかっている。彼はキャリアをここまでもってきた現在も純粋にオーディエンスに愛情を持っている。だからこれからも成功していくことがわかるよ。初めてホノルルの小さな会場で弾いているのを見た時から、彼はどんどん大きくなっていくだろうと感じた。僕も似たような経験をしているからね。端的にいうと、これが僕のお客さんの理論だ。まずパフォーマンスをするにあたって、最初のお客さんは自分自身だ。トイレに入って、鏡に映った自分に向かって歌うのが最初なんだ。だから恥ずかしがらずにそれができなければならない。そして自分と鏡の後は、大体母親とその友達が次のお客さんになる。母親が4人の友達を無理矢理引き連れて、息子のショウに来る。でも彼女たちは一度か二度ぐらいしか来てくれない。そこから先は全て自分の力にかかっている。そうやって僕も続けてきた。お客さんはシンガーやパフォーマーを発見したと思ってくれるけど、同時に僕も聴いてくれるお客さんを発見したという思いになる。僕もそう思ったし,ジェイクにもそれを感じた。母親の友達以外の人がショウを観に来てくれることがどれだけ嬉しいことか。どんなに少なくても、きちんと反応を見て、ありがたいと思うこと。最初は10人ぐらい聴きに来てくれていた人たちが、もう10人の人に話をしてくれて、そのうちバーが埋まるぐらいのお客さんが来てくれて…。そうやって起こるものなんだよ。ジェイクのお客さんに対する真摯な愛情は、必ず彼にいいことをもたらすよ。僕はそれを見てきたし、知っている。オーディエンスが増えても同じこと。大成功して、人が増えたら同じようにはできないという人もいるけど、僕は違うと思う。60人だろうが6万人だろうが、お客さんと繋がる方法は必ずある。それができることを僕は知っている。そして彼にもそれができるということをね。

註1:
アイランド・エスケープイズム=ジミーの音楽を表現するのに用いられる言葉。カントリー、ロック、ポップス音楽にカリビアン風アプローチ等を持ち込んで出来上がった楽しくさわやかなアイランド・テイストが特徴。
註2:
パロットヘッド=熱狂的ジミー・ファン。オウム(パロット)のついた派手な帽子を被ったりしてコンサート会場に現れ、歌って踊ってライヴをエンジョイする。中には全ツアー行程を追っかけて回る人もいる。
註3:
マルディグラ=カトリックなどの移動祝祭日。ニューオリンズの大規模な仮装/仮面パレードはつとに有名。
註4:
ロバート=ロバート・グリーニッジ。スティール・ドラムの第一人者。現在は、ジミーのバックを務めるコーラル・リーファー・バンドの一員として活躍中。
註5:
ナディラ=ナディラ・シャクール。アレステッド・ディベロップメントでの活動がよく知られるヴォーカリスト。現在は、コーラル・リーファー・バンドのシンガーを務めながらソロとしても活動中。