BIOGRAPHY

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1976年11月3日生まれ /ハワイ州ホノルル出身

 わずか4歳より母の影響でウクレレを始めたジェイクは、1998年にピュア・ハート(PURE HEART)のメンバーとしてデビューを果たす。ピュア・ハートは、同年、デビュー・アルバム、『ピュア・ハート』をリリース。そして翌99年にはハワイのグラミー賞と称されるナ・ホク・ハノハノ・アウォーズで新人賞や最優秀アルバム賞を含む主要4部門を受賞。また、00年にも、セカンド・アルバム『ピュア・ハート2』で再び最優秀アルバム賞を受賞。
 その後、ピュア・ハートは解散するものの、同年には新バンド、コロン(COLON)を結成。アルバム『THE GROOVE MACHINE』で3年連続となるナ・ホク・ハノハノ・アウォーズを受賞。そしてコロン解散に伴いジェイクは、02年1月にソロ・アーティストとしての活動をスタートさせた。

 ジェイクの登場によってそれまでのウクレレ・ミュージックの概念は大きく変化していく。彼は、ウクレレという楽器の即興性を存分に活かしつつも、クラシックやジャズ、ロック、ブルーズといったあらゆるジャンルの音楽を、卓越したテクニックと独自のフィーリングで情熱的なサウンドへと昇華し、綿々と続いてきたハワイアン・ミュージック・シーンに大きなショックと驚きを与えていった。ジェフ・ベックやジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレンといった名ギタリストたちの音楽を聴きながら、そのプレイをウクレレで表現しようと考えたニュー・ウェイヴ、それがジェイク・シマブクロである。

 02年4月、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルと専属契約を交わし、同年7月にソロ・デビュー作となるミニ・アルバム『サンデー・モーニング』を発表。8月には初めての単独東京/大阪公演も成功させた。また11月には『サンデー・モーニング』の続編ミニ・アルバム『スカインライン』を発表。これら2枚の作品は地元ハワイでは1枚のフル・アルバムにまとめられ、『サンデー・モーニング』としてリリースされた(以後、この『サンデー・モーニング』をファースト・フル・アルバムとして数える)。

 そして03年のナ・ホク・ハノハノ・アウォーズでは全賞の中で唯一、一般からの投票によって決められるFavorite Entertainer of the Year(今年のお気に入りエンターテイナー賞)と最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞の2冠に輝く。これによりジェイクはピュア・ハート、コロン、そしてソロ・アーティストとしてそれぞれのステージでの受賞アーティストとなった。03年7月にはセカンド・アルバム『クロスカレント』をリリース。またウクレレ・プレイヤーとしては初のフジロック・フェスティバル03のステージにも立ち、ホワイトステージでは、当日朝一番の出演が決まっていたギターウルフのさらに前にサプライズで登場、観客を湧かせた。また降りしきる雨の中、ジェイク・シマブクロ&ザ・カットバックというグループを率いて熱いステージを繰り広げ、目の肥えたフジロッカーズたちを驚かせた。この時の模様を地元ハワイのTV局がジェイク・シマブクロ特番として放映し、視聴者のアンコールに応える形で都合4回にわたって再放送された。フジ・ロック後、8月のジャパン・ツアーでは札幌から沖縄までの全6公演を行ない、東京公演では赤坂ブリッツ2日間を完全ソールド・アウトにした。

 04年1月、ジェイクにとっては初めてとなる単独ニューヨーク公演が実現。アメリカ本土ではまだアルバムのリリース前だったにもかかわらず、チケットは完売と大盛況。3月には、日米交流150周年外務大臣賞が発表され、ハワイからは15の団体・個人が受賞した中にジェイク・シマブクロの名前も。さらにこの月、前年の赤坂ブリッツ公演を収録した初のDVD作品『プレイ・ラウド・ウクレレ』をリリース。同年6月には3作目のフル・アルバム『ウォーキング・ダウン・レインヒル』を発表。このアルバムには、ハワイ州観光局イメージキャラクターに抜擢されて書いたキャンペーン・ソング「レインボー」が収録された。ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズでは、またも最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞。その一方ではニューヨークでギターの神様レス・ポールと共演する幸運にも恵まれ、恒例となった夏のジャパン・ツアーとクリスマス・ライヴも大成功のうちに終わった。

05年、前年に引き続きハワイ州観光局イメージキャラクターに抜擢されたジェイクは、新たなキャンペーン・ソング「ウィズ・ユー・オールウェイズ」をヒットさせた。そして自らの干支と敬愛するカンフー・マスター=ブルース・リーの愛称からネーミングした通算4作目となる最新アルバム『ドラゴン』を、日本のみならず、全米でも遂にリリース。それに伴い、世界最大規模を誇るエージェントとの契約も完了し、活躍の場を広げる準備は万端に整った。8月、全米ツアー中のナッシュヴィルでレコーディングを行ない、初のウクレレ・ソロ作品『ピース、ラヴ&ウクレレ』を完成させ、11月にリリースした。夏のジャパン・ツアーの締めくくりとなった日比谷野外音楽堂でのショウも大成功に。12月には全米ネットワークNBCの人気番組『コナン・オブライエン・ショウ』に出演、各方面から絶賛され、注目度も急上昇。クリスマス時期に行なわれた日本公演では、また一回りもふた回りも成長したジェイクの姿を見る事ができた。

06年のジェイク・シマブクロは、かつてないほど多忙かつバイタリティに溢れた1年を送った。3年連続となるハワイ州観光局イメージキャラクター抜擢で、新曲「オン・ザ・ロード」を提供。そして、遂に日本映画界にも進出。06年9月に公開され、後にアカデミー賞外国語映画賞を決める際の日本代表に選ばれた『フラガール』(昭和40年代の福島県いわき市を舞台に常磐ハワイアンセンター<現:スパリゾートハワイアンズ>のオープンまでの実話を背景に描かれる人間ドラマ)で音楽を担当したのだ。夏には全国を回る大規模なジャパン・ツアーを敢行、そして遂にアメリカ本土でも名前が知れ渡るようになり、ツアーは連日連夜大盛況となった。さらに我々日本のファンにとって喜ばしかった出来事は、大晦日の紅白歌合戦出場である。正確には夏川りみさんの共演者という立場でステージに立ったジェイクだが、短い時間に強烈なインパクトを残す素晴らしい演奏は、さらに彼の名前を広めることになったのだ。

07年。マウイ島にあるMACCでの恒例ライヴを終えると本土へ飛び出して行ったジェイク。各地で熱狂的に迎えられた後、5月からは日本で『live image 6』に参加。錚々たるメンバーとの素晴らしいコラボレーションは、ジェイクを新たな領域へと誘ったようだ。また、この春、実弟ブルース・シマブクロの本邦メジャー・デビュー作となる『ビッツ・アンド・ピーシィズ』でプロデューサー兼プレイヤーとして手腕をふるったことも記しておくべきだろう。夏には、フジ・ロック・フェスティバルへの正式出演(前回はプロモーション的意味合いが強かった)を皮切りに、様々なイヴェントへの出演、そして昨年に続いての大規模な全国ツアーを敢行し各地で大盛況となった。

08年。07年9月に1度きりの特別企画として行なった『一期一会コンサート』の好評を受け、早春『一期一会ツアー』が実現。ジェイクのウクレレによってカヴァーされた日本の名曲の数々。新たな魅力を発見した人も少なくないだろう。初夏には、全米ナンバー1人気を誇る『ボナルー・ミュージック&アーツ・フェスティバル』に初出演、またUSエアフォース・バンドとの再共演、さらにはこの年世界的チェロ奏者ヨーヨー・マやシンディ・ローパーとのコラボレーションも実現した。毎年恒例の日本ツアーに合わせて発売された新作は『YEAH.』。バッハへの取り組み、大胆なチェロの導入、ヴォーカリスト(SHEN)とのコラボ…と、またも新たな領域へ踏み出したのだった。
そしてこの年の日本ツアー『Music Is Good Medicine Japan Tour 2009』は過去最高の32公演を数え、ツアーの合間にはMusic Is Good Medicine活動の一環として学校や施設を訪問、子供達に情熱を抱く事の大切さを教えながら楽しい時間を過ごした。
年末には押尾コータローさんのクリスマス・コンサートにゲスト出演し、息の合ったコラボレーションで観客を魅了。終始「すご〜く楽しい!」と笑顔で張り切っていたジェイクの姿が印象的だった。

09年.前年から取りかかっていたビートルズ・トリビュート・アルバム『アクロス・ザ・ユニバース』が3月に日本発売、4月末〜5月頭には同作プロモーションの一環として来日し、新宿『FACE』で一夜限りのビートルズ・トリビュート・ライヴを敢行。またアメリカ大使館の文化交流プログラムに参加、東京大学、関西大学等で講演会を行なった。 7月、初めての南米ブラジル公演に続いて、初めての欧州ツアーが実現。主に欧州各地のファスティバル出演が目的で、スウェーデン、フィンランド、フランス、スペインの4カ国を回り活躍の場を広げたのだった。
そして8月。春にアメリカで発売された初のライヴ・アルバム『LIVE〜ジェイク・シマブクロの世界〜』を国内リリース。恒例となったジャパン・ツアーは『Music Is Good Medicine Tour 2009』と題され、10月半ばまで(途中スケジュールの都合で日本国外に出ることもあったが)全国25会場のべ26公演を行なった。
また12月には、世界的エンターテイナー、ベット・ミドラーからの誘いで、英国ブラックプールで開催されたイヴェント『ロイヤル・バラエティ』に出演。エリザベス女王の前でベットが歌う「イン・マイ・ライフ」に、ウクレレ1本で伴奏をつけ拍手喝采を浴びた。さらに12月は、毎年の記念行事である『ホノルル・マラソン』一連のイヴェントに出演した後、来日。かねてから親交のある葉加瀬太郎さんの全国ツアー・ファイナル(東京&大阪計4公演)へのゲスト出演と、同タイミングで行なわれた押尾コータローさんのクリスマス・スペシャル・ライヴに(前年に続き)出演し、共に好評を得た。

2010年に入ると、ツアー中にあたためていたアイディアを形にすべくスタジオ入り、新作レコーディングを開始。

2010年4月
History
1976.11.3
ハワイ州ホノルルに生まれる

1980
4歳よりウクレレを始める

1998
ピュア・ハートのメンバーとしてデビュー

1999
ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズで主要4部門を受賞

2000
セカンド・アルバム『ピュア・ハート2』で、ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズの最優秀アルバム賞を受賞

2002.1
ソロ・アーティストとして活動スタート

2002.4
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルと専属契約

2002.7
ソロ・デビュー・ミニ・アルバム『サンデー・モーニング』を発表

2002.1
ミニ・アルバム『スカイライン』を発表

2003
ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズで、Favorite Entertainer of the Yearと最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞の2冠に輝く

2003.7
セカンド・アルバム『クロスカレント』を発表

2003
フジ・ロック・フェスティバル03のステージに立つ

2004.1
初めての単独ニューヨーク公演

2004.3
日米交流150周年外務大臣賞に選ばれる

2004.3
DVD『プレイ・ラウド・ウクレレ』リリース

2004.6
アルバム『ウォーキング・ダウン・レインヒル』リリース

2004
ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズで最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞

2005
アルバム『ドラゴン』リリース

2005.11
初のウクレレ・ソロ作品『ピース、ラブ&ウクレレ』リリース

2005.12
アメリカのネットワークNBCの人気番組『コナン・オブライエン』に出演

2006.8〜10
Gentle Weeps Tour 2006』として全国20ヶ所以上を回る大規模なジャパン・ツアーを敢行、全公演ソールド・アウトの快挙を成し遂げる。ツアー真っ最中の9月中旬には、ジェイクが全面的に音楽を手掛けた映画『フラガール』が公開され、大きな話題となる。同作は、後日、アカデミー賞外国語映画賞選定の場に日本代表作品として選ばれた。

2006.秋
はじめてのオーストラリア・ツアーを大盛況のうちに終わらせる。

2006.12
大晦日の『紅白歌合戦』に、夏川りみさんの応援ゲストとして参加し共演、素晴らしい演奏を聴かせる。

2007.5
約1ヶ月に渡り『live image 6』ツアーに参加、葉加瀬太郎氏ら錚々たるメンバーと共演の機会を得る。

2007.夏
フジ・ロック・フェスティバル07出演。恒例、夏の単独ツアー。

2008.春〜夏
アルバム/DVD『一期一会』発表。
一期一会ツアー』敢行。
ボナルー・ミュージック&アーツ・フェスティバル初出演。
新作レコーディング。

2008.08
アルバム『YEAH.』発表。

2008.夏〜秋
Music Is Good Medicine Tour(32公演)を実施。
ツアーと同時に「ふれあいの旅」実施。

2008.12
押尾コータローさんのクリスマス・ライヴにゲスト出演。

2009.春
ビートルズ・トリビュート『アクロス・ザ・ユニバース』発表。
一夜限りのビートルズ・トリビュート・ライヴ。アメリカ大使館交流プログラム参加。

2009.夏
初の南米ブラジル公演。初のヨーロッパ・ツアー。
初のライヴ・アルバム『LIVE〜ジェイク・シマブクロの世界〜』リリース(US盤09年春リリース)。
Music Is Good Medicine Tour 2009』敢行。

2009.冬
ベット・ミドラーと共に英国『ロイヤル・バラエティ』出演。
葉加瀬太郎さん、押尾コータローさん、それぞれの公演にゲスト参加。